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<エッセイ> 鬼束ちひろ

日本の歌謡曲や現代でいうところの「J―POP」と呼ばれるものを聴かなくなったのは20代後半からだったと思う。せいぜい高校・大学時代に流行っていたフォークソングの吉田拓郎、井上陽水あたりまでで、その後はぴたりと興味が止まった。洋楽もサイモンとガーファンクルやビリー・ジョエルなどは今でも歌詞を全て暗記しているくらい聴き込んだが、平成になってからはクラシック音楽に興味がシフトして行った。

その様な理由で、今の4-50代の友人たちがカラオケで歌う、安室奈美恵、Bz、ミスターチルドレン、浜崎あゆみなどというアーティストの名前を聞いてもどんな曲を歌っていたのかさえ分からない。実際に曲を聞いても、「へえ、こんな曲が流行っていたのか」と思うくらい疎いのだ。

尚更、18歳になった娘が聴いているエグザイル系のグループが歌うアップテンポな曲を聞いても、歌詞も聞き取れず、何を歌っているのか、彼らの音と踊りの何が娘を熱狂させるのかも分からない。まあ、分からないものを無理に分ろうとして、娘の趣味に合わせることもない、と今はもう諦めてはいる。

そんな私でも、時々テレビやラジオから流れてくる日本の歌手達の歌にふと聞き耳を立てることが無かったわけではない。演歌のジャンルでも好きな曲もあるし、ポップスでは平原綾香の「ジュピター」などは名曲だと思う。アンジェラ・アキも好きだ。しかし彼女らのアルバムを購入するまでには至らない。代表曲ひとつかふたつをスマホに入れて持ち歩いているだけであった。

しかしここに来て一人だけ衝撃的に私を捕らえて離さない歌手が現れた。鬼束ちひろである。
実際にはその鬼束ちひろでさえ、デビューは2000年なのだから、『何を今更』と思われても致し方ない。20年前のデビュー曲を今になって真剣に繰り返し聴いている体たらくなのではあるが、大ヒットした『月光』を初めて聞いた時に、その歌詞の凄さに釘付けになったのだった。

――I am God's child (私は神の子供)、この腐敗した世界に落とされた。
How do I live on such a field (どうやってこんな所で生きて行くの)?、こんなものの為に生まれたんじゃない――

と始まるその歌詞はデビュー当時二十歳だったという鬼束自身の手によるものだが、それは決して若い女の子が歌うふわふわと色めいた恋愛ものなのではなく、様々なものに絶望した一人の人間としての吐露なのである。

――効かない薬ばかり転がってるけど、ここに声もないのにいったい何を信じれば?
不愉快に冷たい壁とか、次はどれに弱さを許す?――

同じ「月光」の中の歌詞の一部なのだが、この「効かない薬ばかり」とか、「不愉快に冷たい壁」に続く「次はどれに弱さを許す」などという表現は孤独と無力感に苛まれながらも、歯を食いしばって社会に立つ人間にしか思いつかない表現ではないだろうか。

彼女はもっぱら詩も曲も自らが作る。そしてその歌詞の殆どに必ず心に刺さるフレーズが存在する。還暦過ぎの男が20歳そこそこの女性の作る詩にどきりとさせられるのだ。 

その歌詞の素晴らしさこそが鬼束の真骨頂であり、最近見たテレビのドキュメンタリーでは、彼女の歌詞に救われたという引きこもりの青年や、社会に馴染めず苦しむ若い女性が思いを語っていた。しかもその救われ方は、「鼓舞されたり励まされたりする」のではなく「一緒に底まで突き落とされてから暖かく包まれるような感覚」なのだと、ある女性が話していた。

そんなことから、鬼束ちひろとはどんな女性なのだろうと興味がわき、20年前にタモリの番組に彼女が出演した動画を見たのだが、予想とは裏腹に、本人はどこにでもいそうな女の子であった。タモリの言う事にニコニコ笑いながら、「ウン、ウン」と笑顔で応え、まったく敬語を使わずに、タモリから「タメ口はやめなさいよ」と笑いながら諭されるほどであった。

生活はまったく昼夜逆転であり、夕方の5時頃に起床し、翌朝の7時か8時に床に就く。作詞作曲は夜中の2時頃がピークで、子供の頃から持っている電子ピアノを床に置いて作曲するのだという。「じゃあ、こんな昼間の生番組に出て、眠くないの?」と聞かれ、「ウン、目がしばしばするー」と応えて会場の笑いを誘う。

こんな子に何故あんな歌詞が書けたのだろうか…と思っていると、タモリが同じような事を聞いた。すると鬼束はこう答えた。
「なんだか歌詞が降って来るっていうか、作ってみて、え? 私こんなこと考えてたんだって再確認することが多いんだよねえ」
 
別の番組では鬼束のプロデューサーがその作品創りの速度に対して驚嘆するべきものだといい、「彼女は天才なのだと思う」と語っていた。
 
芸能活動でも様々な紆余曲折を経て、鬼束は家庭を持ち四十歳の女性になった。
途中でパンクロック風の音楽を作り、恐ろしいほどの厚化粧でまったく違った人物になってしまったような時期もあったが、現在はまた以前のようにわずか数単語で聴く者の心を抉じ開ける深淵な歌詞を書き、あの滑らかで光沢を持つ、ベルベットのような声で歌を届けてくれている。
 
しばらくクラシックのチェロばかりを聴いていた書斎には、今はもっぱら鬼束ちひろが流れている。聴けば聴くほど好きになって行く。そして今更になって、言葉というものの不思議さ、深さ、そして楽しさを教えてもらっているような気がするのである。

鬼束ちひろ

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プロフィール

高島悠介

Author:高島悠介
男性。北海道在住。団塊世代後の生まれ。

作者名 高島悠介はペンネーム

五十路を迎え、書きたいことが募ってまいりました。ゆっくりと綴って行くつもりです。

ブログの作品にはまだ書きかけ、未完のものも有ります。あしからず。






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